広島のウェディング情報誌「ウェディングスタイル」の編集部ブログ
[ウェディングスタイルからのお知らせ]
いつも編集部日記をご愛読頂きありがとうございます。
突然ではありますが、この編集部日記は2012年11月末日を持って更新を終了させて頂きます。
いつもご愛読頂いておりましたお客様には大変感謝しております。
尚、ウェディングスタイル・ネットの方では、引続きウェディング情報を発信させて頂いております。
その他、新しくなったブラカンブログや関東でもブライダルカウンターがカップルの皆様のサポートをさせて頂きます。
今後ともウェディングスタイルを何卒よろしくお願い申し上げます。
ウェディングスタイル広島版を発行している編集部のブログです。ウェディングのことやスタッフのプライベートまで。ウェディングスタイルがもっと身近に感じられるハズ!
編集部紹介
【広島編集部】
カレンダー
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
最新記事
(11/30)
(11/24)
(11/21)
(11/20)
(11/15)
最新トラックバック
カテゴリー
タイトルを見て、「何を?」
と、思った方も多いでしょう。
でも、今日は謝らなければダメなんです
お詫びの日
1077年1月25日、神聖ローマ皇帝がローマ教皇に「お詫び」をした
神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はイタリアの支配を目指し、ミラノ大司教等を次々と任命した。教皇グレゴリウス7世がこれらの教皇を無視した皇帝の行為を激しく非難したのに対しハイリンヒは激怒し、直ちに諸侯を集めて教皇の廃位を決定した。これに対して教皇も、1076年2月に皇帝の廃位と破門を宣言した。
破門の知らせを受けた諸侯たちは、次々とハイリンヒに叛旗を翻した。そこでハイリンヒは、教皇から破門を解いてもらう為に、グレゴリウス7世が滞在している北イタリア・カノッサ城を訪れた。しかし、グレゴリウスはなかなか会おうとせず、カノッサ城外で悔恨の心を示すことを要求した。ハイリンヒは1月25日から3日間、雪の中、裸足に粗末な修道衣だけの姿で城の前に立ち続け、ようやく教皇の赦免を受けることができた。これを「カノッサの屈辱」と言う。
ということで今日は「お詫びの日」なんです。高校時代に「世界史」を勉強した人は、習いましたよね。謝らないといけないことがある人は、せっかくだから今日のうちに謝りましょう。結婚してから発覚するともめることもありますし
今日はウェディング的なネタがなかったので、ヒストリカルかつアカデミックな内容になってしまいました。
「みなさん、どうもすみません」
と、お詫びで〆ます。
PR
ブログランキングに参加しています。
クリックで応援していただけると嬉しいです♪
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
管理人のみ閲覧可
管理人のみ閲覧可